鑑賞した日付:2021年12月06日
「涼宮ハルヒの直感」  作者:谷川流
★★★★★
総合点:89点/100点

 僕が最も好きな作品、涼宮ハルヒシリーズの最新刊、「涼宮ハルヒの直感」を読みました。今回も素晴らしい作品であることに変わりはなく、最高に楽しんだのだけれど、この新作を読んで新たに感じたことを改めて書いておこうと思う。

 これまでの涼宮ハルヒ作品については以前のレビューを参照ください。

 まず、この「涼宮ハルヒの直感」は、ハルヒのメインストーリーには直接は…、関わりのない話で、構成としては、

・あてずっぽナンバーズ
・七不思議オーバータイム
・鶴屋さんの挑戦


という3つの話を一冊にまとめたもの。
 「あてずっぽナンバーズ」と「七不思議オーバータイム」に関しては、ずっと以前に他の企画本の中で収録されていたものを改めて正式な文庫として再収録したもの。なので、本当に書き下ろしなのは「鶴屋さんの挑戦」だけ。とは言え僕はこの3つの話は読んだことが無かったので、この1冊でかなりの分量だと感じながら読みました。

 あと、「あてずっぽナンバーズ」は本当にちょっとした小話というか、本編のストーリーには全く関係のないというか、からんでこない小話で、相変わらずのハルヒとキョンの微妙な空気感の熱々ぶりwを切り取った作品なのだが、「七不思議オーバータイム」と「鶴屋さんの挑戦」は少し繋がった話となっており、新たに「T」という謎の留学生という新キャラが出てきて、当然、このキャラが大いに関わってくる話である。これは以前も説明した劇作における叙述トリック…ではないが、テクニック、ルールの一つであるチェーホフの銃というもので、この「T」が出てきている時点で、それこそが「鶴屋さんの挑戦」の謎解きの重要なヒントになっている。少なくとも僕は、このチェーホフの銃の事を知っていたのでかなり早い時点で鶴屋さんの謎かけの答えが分かった。(作中では「T」そのものではなくTが着けていたヘアピンに関してこの記述がある)

 それから、インターネットで調べても良い…という記述があったから…というわけではないが、「鶴屋さんの挑戦」を読み終わった時、僕は件の名前について検索してみたのだが、実際にその名前の人がいて、件の英語ジョークを記載している…w。


 嗚呼、考察していくと無限に考察すべき点が出てくるので、とてもここでは語りつくせないのでまたの機会に譲る。それらの考察について更に知りたいという人は、はてブや読書メーターのレビュー欄を参照すると良いだろう。色々な人が既にいろいろな考察をしているので。

 この本の本編の考察以外の事で僕が思ったこととしては、
 やはりと言うかなんというか…、そういえば涼宮ハルヒシリーズってこういう、やたら知識をひけらかす系のクッソおたく臭いものだったな…と思いだしたということ。あと、キョンの語り口が一々純文学の様な何らかの小難しい比喩的表現で表されていて、それがあまりにも毎回、すべてのセリフに対してそうなので流石にウザいしクドいと思った。というかそれを思い出した。
例えば、ただ単に傾斜のある坂道を毎日登校する…という事を、
「山頂に石を運び続けるシーシュポスのように…」とか。
そこまで執拗に比喩的修飾語を使わなくてもいいんじゃない…と思わされた。

 まあ、あとはやはり現実離れした登場人物のインテリすぎる言動。

「欣喜雀躍の思いだわ!!」

と言って喜ぶ女子高生が実際にいるだろうか…?

 最近、何かのスレで「西尾維新の作品が嫌い…」と言っている奴がいたが、まあ、それは分かる。西尾維新の話とかセリフ回しというのはメチャクチャ癖が強くて、とにかくやたら知識をひけらかして悦に入っているような鼻につくところがあって、そういうのが嫌いな人は嫌いだろうなと容易に想像がつく。ただ、涼宮ハルヒシリーズもまさにそれで、特にこの「涼宮ハルヒの直感」はそれが酷すぎるくらい酷い。「七不思議オーバータイム」と「鶴屋さんの挑戦」はとにかくこれまでの名作ミステリー作品の名前や知識をただただ羅列して論うという、とんでもなく鼻に突くムカつくオタク作品なのである。この辺は本当に不自然なセリフ回しで、そういう事に対する耐性のある僕でも流石にこれは酷いと思い、その分、総合点を下げた。そして、そこで挙げられる名前や知識は、もう本当にそのまんま西尾維新が普段から論っているものと完全に一致していると言っても過言ではない。なので僕は、「谷川流と西尾維新、同一人物説」を唱えている所である。書いてある内容、知識が被り過ぎ。どちらかがどちらかの影響を強く受けているから…なのか分からない。否、そうではなく、これがミステリーオタク、もしくは文学オタクというものの共通点という事なのだろうと理解が進んだ。

 そして、そういえば、なぜ岡田斗司夫が「ハルヒ」や「(めだかボックスを除く)西尾維新作品」に対する評価があまり高くないのか?という所にまで理解が進んだ。
 傍から見れば同じ「オタク」に見える人達でも、当人達は違いを感じており、そこは相容れない拘りがあって意外とお互いを認めない…ということが往々にしてある。例えば傍から見れば同じ「電車オタク」でも、撮り鉄なのか乗り鉄なのかで全然違うだろうし、その両者はお互いを絶対に認めない、理解できないでいるということがあるだろう。それと同じように、岡田斗司夫や庵野秀明や宮崎駿の様な設定、機械メカ、造形、SFオタクと、谷川流や西尾維新の様な文学、ミステリー、言語オタクの間には絶対に越えられない壁のようなモノがあるのだろうと、本編とは関係ないところでそんな風に考察してみた。ちなみに僕はオタクというもの自体があまり好きではないが、どちらかと言えば文学、ミステリー、言語オタクの方である。

 例えば、みくるちゃんがタイムスリップするとき、岡田斗司夫や庵野秀明や宮崎駿なら、どういうタイムマシーンでどういう演出でタイムスリップするのか?という所を主に描きたがるだろう。
「このタイムマシーンの下に付いているこの出っ張りは何かというと、じつはこれはアポロ13にも実際に付けられていた着陸の衝撃を緩衝するサスペンションなんですね…」とか言い始めるだろうw。

 しかし西尾維新や谷川流の様な文学オタクにとっては、そこどうでもいい。だからキョンが気絶している間にいつの間にかタイムスリップしていました…で良いのだ。阿良々木君と忍がタイムスリップした時だってそうだ。それよりもむしろタイムスリップするための(スレイヤーズ並みの)「呪文の詠唱」の方が大事というか、そこがギャグになっているのだ。

物語シリーズ、傾物語

混沌を支配する赤き闇よ、時の流れを弄ぶ球体を、いざ招かん。
巡りにめぐる終末の灯火をただ繰り返し、あふれだす雷(いかずち)で空を満たせ。
黒を歩む者、灰を泳ぐ者、罪深きその忌名を持って自らを運び屋とせよ!



これでタイムスリップするw。


 そもそも「鶴屋さんの挑戦」というのは、エラリー・クイーンの「読者への挑戦」のパロディであり、このことについても西尾維新は物語シリーズのオーディオコメンタリーの中で再三に渡り羽川翼に語らせている。
 谷川流と西尾維新の言っていることは本当に被り過ぎなのだが、唯一にして最大の違いは多筆(速筆)か寡筆(遅筆)かの違いだけである。が、それさえも、同一人物と捕らえれば説明がつくのかもしれない…。

 最後に…、
 最後の最後で鶴屋さんの話が未来技術の話とつながるところは見事だったと思うが、これはきっと作者も書いているうちにそこ(未来技術)と繋げることを思いついたんだろうなと思いました。

 嗚呼、もっと読みたい、素晴らしい作品でした。
 これから何度も読み返して、ここで知識のひけらかしとして羅列され出てくる様々な作品を一つずつ更に検証していけば一生の暇つぶしになるのではないか?という風にも思う。
 それにしてもこんなに文学オタク的な知識だけで構成されたような作品を、他の人はどこまで理解して読んでいるのだろう?殆どの人は殆どの事を理解して読んではいないのだろう…という風にも思った。僕は上述したように、西尾維新の知識も含めてかなり理解して読んだつもりだけれど…。難解なストーリー…、というわけではないが、こんなに読者の文学オタク性を求められる作品も他にないと思う。それほどに、読む人の予備知識が必要…ではないが、予備知識があればあるほど元ネタに気付いたりして楽しめる作品であるとも言えよう。とりあえず有名なミステリー小説は全て読んでいないと十二分には楽しめない作品であることも確かだ。

 僕はこう思いましたけどね…。

 素晴らしい、実に素晴らしい…(ボ卿) と。


【涼宮ハルヒの直観】あらすじをアニメ風にしてみた キョン ( CV.杉田智和 )