インターステラー(字幕版)
マイケル・ケイン
2015-03-25


鑑賞した日付:2020年9月14日
「インターステラー」  作者:クリストファー・ノーラン
★★★★★
総合点:96点/100点

めちゃくちゃ評判が良くて、且つ、色々なところで引用されたりしている作品で、且つ、ノーラン脚本の作品なので、これは絶対に名作だろう…と、見る前から分かっていたので、逆に、観るんだったらしっかり時間を取ってちゃんと見よう!と思っていた為に今日までなかなか見れなかったこの作品。観るのに気負いすぎて“おっくう”になってたんだよね…w。でもやっと観ました。


いや、期待に違わず素晴らしい作品でした。
久しぶりにちゃんとしたこういうアメリカンエンターテイメント映画を見たような気がする。だからマシュー・マコノヒーも久しぶりに見たような気がしたw。

 結構、いろんな状況で何度も出てくるシーンとは言え、あのトウモロコシ畑はこの映画の撮影のためだけに種を撒くところからわざわざ作った「撮影用の畑…」なのだそうな。そういうことから言っても、こんな映画、日本じゃ絶対に作れない規模のもので、こういう、日本では絶対に作れない、撮れない絵の映画ということになんだかちょっと嫉妬した。日本なら、このノーラン監督の脚本的な意味合いも含めて、アニメにするしかないんだろうなと思ったし、実際、ノーラン監督の脚本は非常に日本のアニメっぽい内容になる。シュタゲとかまどマギとかね。
でもそのアメリカ映画ですら、「荒廃して人類滅亡の危機にある世界」という感じにはあまり見えないというか、おかしな部分もあるんだよね…。NASAが小規模に残っていた!という事が分かってからの超展開とか無理があり過ぎる。その辺はやっぱりアメリカの御都合主義というか、かなりプロレスチックな大雑把さがある。

 しかしそれにしても、これはノーラン監督の代表作の一つであるインセプションのところでも感じたことだが、やっぱり(詳しくは言わないが)時間が飛ぶ様な話と言うのは非常にSFチックな、こう…、なんて言うか、良さとか怖さとかが出て良いですね。。
 科学考証などがかなりズサンで御都合主義だとは思うけれど、まあ、それも含めてSFというものだしね…。

 些細なことで言えば、「TARS」という、主人公達に同伴する万能型ロボットが登場するのだが、そのデザインが不自然というか、未来の万能型ロボットのデザインとしてはそぐわないと思う。そういう万能型ロボットが実際に居るとすれば、おそらくもっと邪魔にならないような、小型のモノになるのではないだろうか?とか。小さなパソコンに手足が付いて自立歩行が出来るようなものとか、一番、現実的に考えられる形、合理的な形のモノとしては、例えばもっと小さくて、R2D2みたいなモノになると思う。
あと、未来の人達の服装が全然未来的でなかったりしてちょっと萎えた。
未来をテーマに扱ったような作品の場合、全てのモノがもっと合理的になっていると僕は思う。だからそれがそうでないと非常に萎える。個人的には。
 押井守のアニメ「攻殻機動隊」の中で、人型ロボットのオペレーターの両腕の指が更に枝分かれして高速でキーボードを打ち込んでいるシーンがあったが、未来というのはもっと合理的で単純、簡略化されているはずだと思う。だから、そんなに沢山のキーを押さなくても全て「ワンタッチ」になっているはず。だからそういうシーンはどうかと思っていた。この作品では幾つもそういう、未来では逆にあり得ないようなメカニックなシーンがあったように思う。

 なんというか…、宇宙に旅立ってから揉めたり何かを新たに決めたりするなよ!と思った。そんなの絶対揉めるし上手くいかなくなるじゃん!みたいなバカバカしさをちょっと感じた。その方が映画的と言えば映画的で良いんだろうけどね…。そういう状況になったら人間同士の仲間割れとかが一番の危険だってことは考えればすぐに分かることだと思うけれど、そういう事を考える余地もないくらい、人類はもう追い詰められていたから…と考えることにした。

:ちょいネタバレ:
さらに細かいことを言えば、
「津波の星(ミラー隊員の星)」は1時間が地球時間の7年に相当するとのことだが、結局、土星付近の母船に帰ってきたときには23年も経っていたが、あの津波のやりくりのシーンに3時間以上も経っていたようには見えない。せいぜい10年くらいにしとけ!と思った…。
そして、23年間、母船に残った黒人の人の生活がちょっと興味がある…。というか、そっちも見てみたい。
実際、この映画の脚本、話のスジは、手塚治虫の火の鳥みたいに何パターンか考えられると思うし、幾つかのパターンも見てみたいと強く思った。人類を救うために、いくつもの宇宙船を宇宙に送り出し、その宇宙船それぞれのドラマというか、そういうのも見てみたいと思った。


:ネタバレ:

あと、マン博士が一瞬で回復しすぎでワロタ。案の定仲間割れみたいになるし…。
マット・デイモンがあんな嫌な感じの悪役をやるとは思わなかったけど…。



最後のオチも、ちょっと無理があるとは言え良かったと思う。
けれども、その辺も最後、科学考証等の至らなさを意味不明にして誤魔化したようにも思えた。つじつま合わせ等から逃げたな…と。いう風にも思ったw。
でも良かったと思う。現代の「2001年宇宙の旅」と言える様なオチ、作品の出来になって良かったと思う。

宇宙の果ての閉塞感や孤独感も出ていて良かったと思う。それこそ、そういう所は日本映画では出せないところだと思う。

 しかし…、五次元の世界に至って自宅の本棚に繋がるのなら、結局五次元というものも『自分の「脳の中にある」記憶』に依存しているわけで、ちょっと浅はかにも思う。五次元というか、それ、おまえのパーソナルな世界じゃん。他の人の経験によるところの時間軸への移動も、解釈の仕方は無いわけでは無いとは思うけど。
映画の最初の頃、本棚がガタガタ言っている時点で、「これ…、最終的に主人公が別次元からやっていることなんじゃないか…?」とちょっと予想が付いてしまった事も浅はかだと思う要因。

 色んな所でネタとしても引用されていたりする作品なので、当然と言えば当然なのだが、あの、「超絶的な知能や気付き」を得てしまったラットやネコのネタ(全てを知ってしまった猫)で流れる音楽はこのインターステラーの音楽だったんだね…w。

音楽はこちらで紹介した。








インターステラー(吹替版)
マイケル・ケイン
2015-03-25