鑑賞した日付:2019年8月8日
アニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」  
作者:新房昭之、原作:岩井俊二
★★★★☆
総合点:90点/100点

 それが仕事になれば最善だとは思うけれど、今のところこの「映画評」を仕事として書いているわけでは無いので、つまり僕も忙しいので長々と書くつもりはないし、そういうわけにはいかないのだけれど、この作品に関しては色々と言いたいことがあって長くなるかもしれない。


 まず、このアニメ版の「打ち上げ花火…」がネット上でかなり不評なのは知っている。
 けれども、この作品を一概に低評価している様な奴はもうこういう芸術作品を鑑賞する才能がないから黙ってろ!と言いたい。そうそう安易に低評価をして良い様な作品ではないのだよと。

 僕はこの作品の原作というか、元々岩井俊二が1時間テレビドラマ用の脚本として書いたものを映画化した奥菜恵主演の実写版を見て非常に思うところがあったので、アニメ版ではそれをどのように解釈して作られているか?を確認するために見た。

元々の原作は、あまり皆気付いていないように思うが、僕は、
これこそが現代(ちょっと古い)の日本の最高の純文学であると思っていた。
基本的にはSF、若しくはジュブナイル的に書かれている物だが、結局これはメチャクチャ繊細な部分、微妙で言葉にできないような感覚を見事に描いた純文学であると思う。それこそ、「伊豆の踊子」を書いた川端康成や、当時の世相を反映しつつ繊細で美しすぎるような青春群像みたいなものを描いた武者小路実篤、谷崎純一郎でも裸足で逃げ出すほどの日本最高の超・純文学だと思う。外国人には分かるまい!な、日本の少年の少年時代の一夏の微妙すぎる感情、感覚。

ちょっと話は反れるが、
「日本のアニメ」というものは言わずもがな世界的な評価を受け、確固たる産業、文化となった昨今、常に斜陽産業のような言われ方もしてはいるが、今、一番注目され力のある業界でもあると思う。
 だとすると、今、日本で一番頭のいい人やセンスのいい人など、日本の最高頭脳はアニメ業界に集まっているとも言えると思うのだ。もし、千利休、福沢諭吉や坂本龍馬、夏目漱石、三島由紀夫などが現代に生きていたら、アニメ業界に居てアニメをやっていると思う。だからアニメというのは凄いのだと、僕は思っている。最高の技術や文化、人材はアニメ関係に集まっているのではないか?と。


さて、話をこの映画に戻すが、
男と女の成長スピードにはズレがある。
 女の方が男よりも成長が速く、同級生なのに女子の方が大人びている時間、期間というものが少しだけ存在している。もっと正確に言うなれば、現代の学校システムの小学5年から中学3年までの、女子の第二次成長期…という風にも言えると思うが、「なずな」はもう大人の女性の感覚を身に着け出している時代。対して「典道君」や、その友達はまだまだ全然子供である。この微妙なズレから生じる微妙な、恋心とも言えないような恋心が、実は結局その後無い無類で比類なき本当の美しい純愛の恋心であるという様なところが描かれている稀有な作品であると僕は思うのだ。
「なずな」という女の子は“魔性の女”と言ってもいいくらい、異常で妙な魅力があって、特にそれが妖しく輝いている時なのだと思う。何を考えているのか分からない神秘性までも持ち合わせている。そんなただの“クラスの女子”に思いを寄せる様な寄せないような、そんな少年の恋心ともつかないような恋心。美しい!

 原作厨として「原作ガー、原作ガー」などと連呼する気はない。ないが、まずそういう原作の良さを把握してからこのアニメ版を見てほしいと思うのだ。
また、これだけ原作の良さを推しておいて、上記、アニメ版の評価がそれほど高く無い理由は、アニメ版ではこの原作の純文学的な部分も確かにちゃんと踏襲しているが、SFの部分をより多く取り上げているが為。

 そもそも原作の実写版映画の方だってそれほど完成度としては高くない。子役の子の演技とかは結構酷かったりする。けれども、その元々の話の筋は、上記でベタ褒めした通り、最高のものであるという事が言いたかった。
 それを現代にわざわざアニメ化するのだから、アニメ版としてはどのように解釈して作ったのか?ということを確認したくて見たわけだ。

結果、
新房監督やシャフトファミリーによる仕事は努めて完璧で、ご覧の高評価になったとも言える。

 批判している人というのは、この物語が、特にアニメなのにあからさまな異世界冒険モノではないので、こういうリアルな日常系というか、そういう芸術に、特に純文学的な芸術を理解できていないか、もう一つは、主に、声優として「役者」を使ったことに対して批判している様だが、僕は以前、「崖の上のポニョ」のところでも「餅は餅屋」という言葉を使い申し上げたが、「役者」なら全然良いと思う。広瀬すずも菅田将暉も問題なく良かったと思う。本当に問題なのは、ジブリみたいに声優でも役者でもないただのタレントさんを話題作りの為に声優として起用することだ。「役者」なら良いのだ。話題作りや興行、プロモーション的な意味合いでそういう人を使わなければならない部分もあろうが、この作品では脇をシャフトファミリーとも言うべきプロの声優さんが固めているし、尚良いといった感じ。

 最後の方で独特な感じが出てくるが、劇団イヌカレーはこういう仕事も出来るんだ…という風にも思わされた。最後の方は確かに所謂「イヌカレー空間」っぽくなるけれどw。ヤン・シュヴァンクマイエル風味を抜いたイヌカレーの仕事という感じか?

ああ、やっぱり長くなっちまったな。
今日はこれくらいで勘弁しといたるわ。

まあいいと思いますよ。この作品はこれで。
絵はガハラさんだけどねw。

音楽は以下で紹介した。